根拠のない「自信」を持つこと
人生は試練、挑戦の連続だ。
これから乗り越えなくてはならない数々の試練が君たちには訪れるはずだ。
受験もその一つだ。
そんなときに君たちに覚えておいて欲しいこと、絶対に忘れてほしくないことがある。
それは、「自分には絶対できると心から信じる」ということだ。
何かに挑戦するとき、不安な気持ちになったり自分に自信が持てなくなったりすることがこれからもきっとあるだろう。
当たり前だ、今後の人生がかかっていることになんの緊張感も感じない方が問題だ。
それは全力で立ち向かったからこそ感じるものなんだ。
でも、そうやって壁を前にした時に自分が自分のことを信じなくてどうする?
始まる前から負けることを考えた勝負に勝てる奴が勝利を掴めるか?
成功、勝利は自分の力で掴み取らなきゃいけないもので、待っていれば転がり込んでくるものじゃないんだ。
それなのにいつまでも弱気のままじゃ勝てるものも勝てないよ。
だから他の誰も自分のことを信じていなくたって自分だけは自分のことを信じ抜いてあげて欲しい。
俺は学生の時は学年で2位だったこともあったし200位だったこともあったけど自分の力を信じて疑わなかった。
根拠なんてないよ
自信を持つことに根拠なんていらないと思う。
でもね、根拠のない自信だとしてもそれを持つことは努力の原動力になるんだ。
俺はできるんだから頑張るぞ、やってやる!そうやってまずは自分を奮い立たせる、これが成功への第1歩。
どんなにすごい人だって自信が無い事で成功することは出来ないし、自信があるからこそ頑張ることが出来る。
そしてそうやって頑張り抜いた先にある、努力に裏打ちされた自信を持っている人ほど強い人はいない。
俺はこんなに頑張ったんだからできる、こんなに頑張ってこられたんだから今だって大丈夫、こう思えるようになれたのならもう怖いものは無い。
自信に見合うような努力をすることは決して容易い事ではない。
時には心が折れそうになることもある。
でもそこで頑張り抜いた奴にしか見ることの出来ない景色、感じることの出来ない感覚があるんだよ。
その経験はこれからの人生で絶対に自分を支えてくれる。
俺はそれを受験を通して経験できた。ちょっとその話をしたいと思う。
学年300人ちょっと高校で200位後半だった俺の受験期は辛く苦しいものだった。
高校三年生の秋に母親からうちには私立に行かせる金はないと言われ単願での受験。
そしてそれに失敗したら就職するようにとも言われた。
しかし受験まで残り100日の段階で志望校への偏差値は10位足りない。
志望校変更を先生には勧められたしそんな無謀な挑戦を友達には笑われた。
それでも俺は自分の力を信じ続けた。
どんなに辛くとも、俺ならできる、頑張れば合格出来ると信じ努力を続けた。
電車の中で勉強、休み時間も勉強、授業が終わればそのまま学校で勉強し、下校時刻になればエイメイに移動して勉強を続けた。
結果は志望校の偏差値を大きく上回り、センター試験の段階では志望校の中で1位をとることが出来た。
もう最高に気持ちよかった、ただただそれだけを覚えている。
周りから見ると無謀だったかもしれない、今当時を振り返ると本当に命知らずだったなと思うが意志の力というものはそれほどまでに強いのだと実感する。
その経験があったおかげで今は何があっても、どんな困難だって自分は乗り越えられると思えるし、努力することも楽しめるようになった。
君たちにも受験を通してこれを経験して欲しい。
俺は去年からエイメイの先生になった。
そして君たちは俺が持つ初めての三年生だ。
受験生を担当するという責任は自分が想像していたものよりもはるかに重く、何度も押しつぶされそうになった。
それでも今こうやって君たちの前に俺がたっていられるのは過去の経験があったからだと自信を持って言える。
「俺ならできる、俺が逃げて他に誰ができるんだ」何度も何度も自分に言い聞かせた。
根拠なんてあるわけがない、君たちが受験を初めて経験するように俺にとっても受験に送り出すという経験は初めてだから。
不安だし緊張もするよ、でも君たちがエイメイでよかった、と思ってくれるように俺は頑張り続ける。絶対に後悔はさせない。
まずは自信を持つ、それは簡単だ、今すぐにもできる。
そこからそれに見合う努力をしていけるかは君たちにかかっている。
受験という大きな試練を通して成長できるかは君たち次第なんだ。
今回のイベントを通して変わりたいと思ったなら後は行動あるのみ、最後まで一緒に頑張ろう。